
新しい形の手元供養や分骨を考えたときに、伝統的な形でないからと不安を感じる方もいらっしゃると思います。
それでは仏教の分骨について歴史を元に細かく解説します。
お葬式の流れ(仏式)と分骨のタイミング
仏教での一般的なお弔いの流れを見てみましょう。一般的に分骨するタイミングは3回ありますので、そちらもご案内します。
お通夜 葬儀の前夜に、故人と故人の友人知人が最後の夜を共に過ごす儀式です。
お葬式 故人を悼み、故人の冥福を祈る儀式です。
火葬 遺体を焼くこと。葬儀の一部として行われます。
分骨タイミング1回目 火葬直後のお骨拾いの際に分骨が出来ます。火葬場の職員さんへ事前にお伝えしておくと安心です。この時が一番好きな部位を選びやすく、指のお骨を分骨される方が多いです。
四十九日 故人が亡くなってから49日目に行われる法要で、忌明け(きあけ)の法要であり、故人の魂が極楽浄土へ旅立つための重要な節目とされています。
納骨 四十九日法要と同時に行うことが一般的です
分骨タイミング2回目 納骨までにお家にご遺骨があるうちに少し分けていただく方も多いです。
開眼供養 新しく購入した仏壇、仏像、位牌などに、僧侶が読経して魂を込める儀式(魂入れ)です。お墓に戒名を彫った際も開眼供養を行い、魂を宿らせます。
墓じまい(改葬) お墓を更地にしたり、別の場所へ移動する事。お墓を終いにする際は遺骨を粉状に粉骨して思い出の地などに撒くのが一般的です。
分骨タイミング3回目 業者さんに遺骨を粉骨にしていただく際に少し取り分けていただく方法もあります。
仏教の伝統的な流れの中には分骨や手元供養と言った言葉が無く、分骨や手元供養を全員がするわけではないので、分骨しても大丈夫かしらと心配になりますね。
分骨をしても大丈夫なのか、次項で分骨の歴史を紐解いてみましょう。
日本人全員が火葬するようになったのはいつ?
日本人全員が火葬するようになったのは1948年施行の「墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)」により、
自治体は土葬を制限する条例が制定されたためです。
それ以前も偉人や特権階級の方々は火葬されてきました。
つまり、庶民は土葬の為分骨出来ず、偉人や特権階級の方々のみが分骨をすることが出来たのです。
火葬が一般的になって約80年が経ちまして、
80年というと約三世代分の年月で、
三世代かけてゆっくりと分骨の考え方は一般にも浸透して来ています。

偉人の分骨
それでは偉人の分骨の具体例をみてみます。
お釈迦様 お釈迦様は亡くなった後、火葬され、その遺骨は争いを避けるために8つに分けられました。
日本で唯一、お釈迦様の真骨が祀られていると伝わるのが、名古屋市の覚王山日泰寺です。日泰寺の「奉安塔」に、この真骨が納められています。
織田信長 信長の墓と伝えられるものは、実は全国に20ヵ所以上あります。
本能寺(信長公廟)
信長の三男・信孝が集めた遺骨を納めてお墓を建立しました。
阿弥陀寺
阿弥陀寺開山の清玉上人が、火葬し遺骨を法衣に包んで持ち帰ったとされています。
安土城跡
信長一周忌の後に、秀吉が信長の太刀や烏帽子を納めたとされています。
西光寺
信長の遺歯を納めたとされています。
瑞龍寺(ずいりゅうじ)
前田利長が本能寺の変後、自領に織田信長・信忠親子の分骨を迎え、供養したとされています。
崇福寺(そうふくじ)
位牌の形をした石碑があります。信長父子の遺品を側室が寺内に埋め位牌を安置しとされています。
西山本門寺
算砂が24歳の時、本能寺の変で討たれた信長の首を持ち出させ、富士山の麓に葬らせたとされています。
マハトマ・ガンジー 1948年の死後荼毘に付され、ガンジーの遺骨は分骨されて、複数の場所に撒かれました。
インド国内 遺骨の大部分は、ガンディーが独立運動を指導したインドのガンジス川や、その支流のヤムナー川に散骨されました。
南アフリカ 遺骨の一部は、ガンディーが人種差別に反対して政治活動を行った南アフリカのインド洋沖にも散骨されました。
デリー 遺骨の約4分の1はデリーの記念公園に埋葬されており、火葬の際の火を象徴する記念碑も存在します。
なぜ人は分骨するのでしょうか
先ほどのお釈迦様や、徳川家康や、ガンジーが誰によって、どんな場所に分骨されてきたのかを見ればわかるのですが、
それぞれの偉人を敬愛する方々によって、お弔いをしたいという愛によって分骨がされてきました。
それぞれのゆかりの場所へ眠ってほしい、沢山の方に祀られてほしいという愛からの行動で分骨をし、各地にお墓が建立されるのです。

分骨は正しいお弔い方法です
このように、紀元前のお釈迦様が亡くなられた際にも、弟子たちによって分骨が行われたという歴史があり、分骨は古くから続く伝統的で、愛に満ちたお弔いの方法であることが分かります。
約80年前までは主に土葬が一般的だったため、分骨という習慣はほとんど行われず、「分骨=特別なこと」とされていましたが、
遺された方々の「大切な人をそばに感じたい」という思いにより、私たちの意識は少しずつ変化し、分骨も自然で一般的なお弔いの形になってきています。
まとめ
分骨の歴史を見て来ましたが、太古の昔からお弔いは変わらず、故人様への愛の表明です。
「故人様がより幸せになるにはどうしたらよいか」
と愛を形にし、祈ることです。
工房では悩まれていらっしゃる方にこう伝えています。
「あなたが故人様を想う様に、故人様もまたあなたを想っています。」
あなたが”故人様がより幸せになるお弔い”を考えている様に、故人様もお空から、どうやったらあなたを幸せに出来るか、を想っていらっしゃいます。
それでは故人様の願いをかなえるために、自分の心が満たされるお弔い方法を考えてみてはいかがでしょうか。
恋は片思いですが、愛は両想いです。
ふふ工房では故人様を幸せにするために、世間一般の形にとらわれずにお客様が満たされるお弔い方法をお勧めします。
いつもありがとうございます。